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JB Press 2013.10.28(月)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39002
「イデオロギー」の力が消えた中国社会
孫悟空の「わっか」はもう利かない
誕生してから半年余り経つ習近平政権が、徐々にその執政方針を見せ始めた。
一言で言うと、
★.経済的には一層の自由化を進める代わりに
★.政治的には共産党の指導体制をさらに強化する、
ということのようだ。
海外の中国ウオッチャーの間では、習近平国家主席を、蒋介石の後を継いだ息子の蒋経国氏と比較する論調がある。
蒋経国氏は蒋介石没後、「党禁」と「報禁」、すなわち「野党の活動の禁止」と「自由な新聞報道の禁止」を解除した。
蒋経国氏のこの大胆な改革は、のちに台湾の民主主義の礎を築き上げたと言われている。
同じ中国人である以上、台湾で実現できた民主主義が中国大陸で実現できない理由はない。
海外の研究者の間では、習近平国家主席は任期中に民主主義の実現を目指すのではないかと期待され、その第一歩は「党禁」と「報禁」の撤廃であろうと見られている。
しかし、その実現まではほど遠い。
中国で党禁と報禁を撤廃すると共産党批判に拍車をかけることになり、共産党の求心力は一層低下する。
共産党はその事態を恐れている。
台湾では、民主主義の実現と引き換えに国民党は下野してしまった。
中国共産党に政権を失う心の準備ができているとは思えない。
もしも民主主義の実現と引き換えに共産党が下野してしまえば、習近平の身に危険が及ぶことも心配される。
■共産党幹部の腐敗はなくならない
旧ソ連が崩壊し、冷戦の終焉から20年以上経過した今、
計画経済の正統性を堅持する者はほとんどいなくなった。
中国指導部で計画経済への逆戻りを主張する者はもういない。
中国は脇目を振ることなく経済の自由化を進めている。
だがそこで問題となるのは、プロジェクトの許認可権や国有企業の人事権および政府買い付けの権限を独占的に握る共産党幹部が、国民の監督・監視をまったく受け入れないということである。
その結果、贈収賄や横領などで腐敗してしまう。
経済の自由化を進めれば、人々のやる気が喚起され、マクロ的には経済成長につながる。
だが独裁政治では、経済成長の成果を公平に分配することができない。
最近、裁判にかけられた薄煕来前重慶市党書記と前鉄道部長(大臣)劉志軍はその典型例と言える。
中国の1人あたりGDPはまだ6000ドル程度だが、共産党幹部は収賄と横領で数億円を蓄財する。
政治が腐敗すれば、いずれ退場させられる。
独裁政治はいずれ終焉を迎えることになる。
よって中国政府が独裁政治と自由な経済を両立させるためには、幹部の腐敗を撲滅しなければならない。
西側諸国では、政治家の腐敗を防ぐために野党と国民の監督・監視を受け入れる。
与党が不正をすれば、選挙で野党に転落する。
この政治のローテーションによって腐敗を防ぐことができる。
それに対して、独裁政権は下野することを極端に恐れる。
中国では、共産党中央の宣伝部の了承がなければ、マスコミは幹部腐敗のニュースを報道してはならないことになっている。
これこそ「報禁」である。
また、「党禁」によって共産党以外の政治勢力の存在と活動が禁止されている。
となると腐敗を防ぐ方法は1つしかない。
それはかつてスターリンの時代と毛沢東の時代に行われた「粛清」である。
当時、粛清された幹部はすべて党紀に違反したからだと言われた。
中国で最後に粛清された指導者は、1989年の天安門事件のとき、民主化を求める学生の要求に賛同した趙紫陽元総書記である。
趙紫陽元総書記は裁判にかけられることなく最後まで軟禁状態に置かれた(ただし毛沢東時代に粛清され紅衛兵に殺された劉少奇元国家主席に比べれば、まだ幸運だったと言えるかもしれない)。
もちろんグローバル時代のいま、習近平国家主席が党を粛清することはできない。
だが政敵を排除するためには、その腐敗の罪を問うのが一番手っ取り早い。
ある研究者は、共産党指導部は、本音では幹部の腐敗を一掃しようとは思っていないと指摘する。
腐敗した幹部は指導部に反旗を翻せないからだ。
指導部にとって最も怖いのは、権力欲が旺盛で、腐敗していない幹部の存在かもしれない。
これから習近平政権はどこまで厳しく党内の腐敗に対応するのだろうか。
■機能しなくなった孫悟空の「緊箍児(きんこじ)」
独裁政治が統治を続けるためには、党員に対する統率を強化する必要がある。
そのために重要なのは、指導者のカリスマ性と、党の綱領であるイデオロギーの影響力の強化である。
毛沢東の時代は、毛沢東への個人崇拝を徹底させると同時に、マルクス・レーニン主義と毛沢東思想に基づいたイデオロギー教育を徹底的に強化した。
だが、三十余年前から始まった「改革開放」政策により、イデオロギー教育は緩和されてきた。
経済のグローバル化が進むなかでイデオロギーが統率力を失うのは当然のことであろう。
マルクス・レーニン主義の実験室だった旧ソ連が崩壊した現実は、中国共産党にとって何よりの反面教師である。
最近の中国社会を見ると、国民の政治離れが急速に進んでいることが分かる。
かつて中国人の生活は政治と濃密に関わっていたが、今の中国人は政治と関係なく生活することができる。
また、政治と関わりたいと考える中国人は急速に減少している。
こうしたなかでイデオロギーをもって国民に忠誠を誓わせようとしてもまったく効果がない。
国民の関心はただ1つ、
経済的に豊かで幸せな生活を実現できるかどうか
の1点に尽きる。
中国の古典「西遊記」のなかで、孫悟空は勝手なことができないように頭に「緊箍児(きんこじ)」というわっかをはめられた。
孫悟空が勝手なことをすると、お釈迦様は「緊箍呪」を念じて緊箍児を締めつけて孫悟空を従わせる。
長い間、中国共産党にとってはマルクス・レーニン主義のイデオロギーこそ孫悟空の頭にはめた「緊箍児」のようなものであり、国民を従わせるツールであった。
だが残念ながら、今やその緊箍児は機能しなくなった。
国民にとって共産党の指導者は、孫悟空にとってのお釈迦様のような存在でなくなったからである。
にもかかわらず、最近、政府は今後、記者証を更新する条件としてマルクス主義の学習を義務付け、そのテストに合格しなければ、記者証を更新しないとの通達を出した。
まったく時代遅れの通達と言うしかない。
中国国民が習近平国家主席に期待しているのは、法による統治の実現と、自由と人権が尊重された幸せな生活の実現なのである。
柯 隆 Ka Ryu
富士通総研 経済研究所主席研究員。中国南京市生まれ。1986年南京金陵科技大学卒業。92年愛知大学法経学部卒業、94年名古屋大学大学院経済学研究科修士課程修了。長銀総合研究所を経て富士通総研経済研究所の主任研究員に。主な著書に『中国の不良債権問題』など。
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