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ウォールストリートジャーナル 2013年 10月 29日 15:49 JST
http://
jp.wsj.com/article/SB10001424052702303925304579164853735284732.html?mod=WSJJP_hpp_LEFTTopStoriesFirst
永遠には続かぬ中国の奇跡―独裁主義下の近代化には限界
いかなる経済的な奇跡も、やがて魔法が解けるときが来ることは歴史が証明している。
中国は驚くべき成長をあとどれくらい維持できるのだろうか。
20世紀の大きな疑問は21世紀になっても消えていない。
歴史の正しい側にいるのはどちらかという疑問だ。
自由市場、法の支配、説明責任、三権分立でがんじがらめになった、大衆の中から権力が育った自由民主主義なのか。
それともスターリンやヒトラーのような独裁的中央集権制なのだろうか。
最近の変形として、そこまで苛酷ではないものの、
中国の国家資本主義プラス一党独裁
が挙げられる。
共産主義の崩壊がこの大きな疑問を解消することはなかった。
20年ほど眠らせていたに過ぎない。
そして今、中国の驚異的な台頭と民主主義経済の危機――バブルとその崩壊、過剰支出とけた外れに大きな債務――が、自由民主主義がいたるところで勝利する『歴史の終わり』と呼ばれる墓地に安全に埋められていたかに思えたものを掘り起こしてしまった。
墓から蘇ったその死人は、今や誇らしげに歩き回っている。
そして欧米の多くの人々が次のような疑問を抱いている。
豊かさと世界的影響力を手に入れるには、
過去にアジアの「小龍(韓国、台湾、日本)」が、
現在では中国が実践している
トップダウン型の資本主義の方が、自由民主主義の混乱を招き、自らを無能化させるやり方よりも良いのではないか。
「他の国々の台頭」派(アリス・H・アムスデン著『The Rise of "the Rest"』の考えに同意する人々)は、明日は昨日のリメイクになる、つまり中国はますます成長すると想定している。
しかし、歴史はわれわれに用心しろと警告している。
過去のすべての経済的な奇跡に共通する特徴は急成長である。
それは19世紀の英国、米国、ドイツに始まり、第2次世界大戦後の日本、台湾、韓国、西ドイツに受け継がれた。
ところが、いずれの国も最初の驚くべきペースを維持できず、最終的には減速してしまった。
若々しい活気が成熟に取って代わられると、そうした国々は「ノーマルな」ペースに落ち着いた。
「ノーマルな」とはどれぐらいのペースか。
2008年の金融危機までの30年間なら、米国の成長率は平均3%を優に上回っていた。
ドイツの成長率は3%から2%未満に、
日本は4.5%から1.2%に減速している。
国が農業と手工業から製造業に発展し、
そこからさらにサービス・知識経済に進化していくにしたがって、
上昇は降下に転じ、横ばいになる。
その過程で田舎には人がいなくなり、無限に思われた安い労働力の宝庫として機能しなくなってしまう。
固定投資が増えるに連れて限界収益が減り、新たな単位当たり資本が生み出す生産高は以前よりも少なくなる。
これが経済の最も古い法則の1つである収穫逓減の法則だ。
第2次世界大戦後の日本やドイツがそうであったように、横ばい効果は戦争と壊滅の直後の復興段階に出現した先進工業国の経済にも当てはまる。
どちらの場合もそのパターンは同じだ。
空に向かって急上昇し過ぎた飛行機が高度を下げ、通常の飛行パターンである水平飛行に正すのと似ている。
強調すべきは、そのトレンドラインが決してなめらかではないということだ。短期的に見ると、そのラインは景気変動や内戦や戦争といった経済の域を越えたショックによってジグザグになる。
何を耐え忍んだかということは後になってようやくわかるのだ。
1970年代の景気拡大の最中、日本の成長率はわずか2年のあいだに8%からマイナスに落ち込んだ。
1970年代のもう1つの成功例である韓国は12%とマイナス1.5%の間で急激に変動した。
同じころに文化大革命が起きていた中国の成長率もかつての19%からマイナスに急降下した。
最近の中国の歴史は、景気循環による低迷よりもよっぽどひどい損害をもたらす「外因的」ショックの役割を完璧に説明している。
成長にとって戦争に次ぐ容赦のないブレーキは国内の混乱である。
文化大革命の最初の2年間で中国の成長率は8%も低下し、その後さらに7%ポイント下がった。
1989年の天安門事件の後、2桁だった成長率は急降下し、2年連続で2.5%となった。
文化大革命と天安門事件は、将来、中国を苦しめるために戻ってくるかもしれない災いを匂わせている。
国家の締め付けが強いほど、経済は政治的ショックにますます脆弱になる。
中国当局がすべての市民デモを、30年以上も前に起きた天安門事件の二の舞を警戒するかのように執拗に監視しているのもそのためだ。
「
中国の指導部は権力を失う日が近いのではないかという不安にとらわれている」
と中国研究の第一人者、スーザン・シャーク氏は書いている。
「彼らは1989年の初めにソビエト連邦や東欧の共産主義政権がほぼ一夜にして崩壊するのを不吉な予感と共に見ていた。
北京の天安門広場とその他の100以上の都市で起きた大規模な民主化要求の抗議行動が中国の共産主義体制を転覆させそうになったのもその年だった」
今日、世界は中国のすさまじい成長に驚がくしている。
だからといって、
中国が経済史の審判に未来永劫抗える理由などあるだろうか。
19世紀半ばに欧米の驚異的な経済発展を引き起こした産業革命以来、この歴史の審判から逃れた国など、他にはない。
では、中国への心酔をどう説明したらいいのか。
欧米のさまざまなタイプの
知識人たちは、絶対的指導者に弱い傾向がある。
たとえば、フランスの実存主義作家で哲学者のジャン・ポール・サルトルのスターリンやドイツの大学教授陣のヒトラーに対する背信行為への誇大な称賛である。
フランスの小説家、アンドレ・ジードはスターリンのロシアに具現化された「人類の救済の約束」を見ていた。
それも当然である。
そうした独裁者は世俗的な救済ばかりか経済の再生も約束した。
権力を欲しながらも臆病で手が出せない思想家が夢を見て議論する一方で、彼らは実践的なエンジニアだった。
残念なことに、その代償は筆舌に尽くしがたい人的被害だったが、共産主義者だったドイツの詩人、ベルトルト・ブレヒトの有名な説教にあるように
「まず食うこと、それから道徳」
だった。
今日の悲観論者たちも同じような誘惑に屈している。
彼らは欧米の資本主義の危機をざっと見渡し、中国の30年に及ぶ奇跡に目を奪われている。
そしてもう一度、特に市場と利益を側面に配した国家至上主義は自由民主主義よりもうまくいくという結論を下している。
20世紀の傷だらけの歴史が示している通り、
権力は初めのうちこそ確かに成長を育むが、長期的には行き詰る。
最高指導者は、国民を熱狂的な工業化に駆り立てるのがうまく、民主主義が数十年、数百年かかることを数年で成し遂げてしまう。
ヒトラーの指揮の下、フライング・ハンバーガーの愛称で知られた特急列車はベルリンとハンブルグの間を138分で結んだ。
戦後の民主主義体制下のドイツでは、この記録に追いつくのに66年を要した。
その理由は単純である。
ナチスには地元住民の反対や環境影響評価報告書を心配する必要がなかったからだ。
今ではドイツ製の磁気浮上式鉄道が上海と浦東国際空港の間を猛スピードで行き来している。
ところが、それを開発したドイツでは、騒音と助成金に抗議する民主主義のせいで運行が頓挫している。
ソ連型のモデルが示しているように、
トップダウン型の経済は当初は成功しても後に失敗する。
ナセル大統領のエジプトからカストロ首相のキューバまで、模倣者の長いリストが証明しているように、離陸地点にすら到達しないこともある。
アルゼンチン、エクアドル、ベネズエラが例証している通り、21世紀のポピュリスト軍事独裁者もやはり成功していない。
独裁主義の、あるいは「誘導された」近代化は自らその終結の種をまいている。
その制度は、
初期には山々をも動かすが、最終的には自らも山脈の一部と化し、石のように固く、排他的で動かなくなる。
それは自らの地位と収入にとって重大な脅威となる変化をまずは無視し、次に抵抗する昔の特権階級のような既得権保有者に力を与える。
このような「利益の追求」はそうした社会のすべてで見られる。
社会科学者のフランシス・フクヤマはフランス革命以前の旧体制を振り返ってこう説明する。
「そうした社会では、エリートたちが自らの利益を確保するために、すべての時間を費やしてでも公職に就こうとしていた」
つまり、自由市場が与えてくれる以上の富を求めていたのだ。
フランスでは、その「利益」は
「私的に充当され得る特定の収入源に対する法的権限」
だった。
言い換えれば、公的な権限を個人的な利益に変換するのが権力者のゲームで、市場や競争など知ったことではなかったのだ。
このフランスのたとえは容易に20世紀の東アジアに置き換えられる。
そこでは国家と社会の双方によって、公然と、あるいは秘密裏のうちに、持ちつ持たれつのゲームがプレイされた。
国家的優位性を旗印に掲げる国家は、産業や利益団体を特別扱いした。
するとそうした組織は競合的体制がもたらし得るものをはるかに越えた富と地位――「利益」を増やそうと、独占、助成金、税制上の優遇、保護を得るための権力を追求した。
国が大きくなればなるほど、利益も大きくなる。
市場ではなく国家が経済的成果を決定するのであれば、資源分配者として政治が収益性に勝ることになる。
免許、建築許可、資本、輸入障壁、競争抑制的な規制などは国営企業、または優遇されている企業に与えられ、腐敗や非効率を生み出すことになる。
こうしたシステムは簡単には修正できない。
国家はその顧客を頼り、顧客は恩恵を施してくれる国家に依存しているからである。
この広がりつつある馴れ合い関係は、
景気停滞か反乱のいずれかを招くことになる。
中国について小龍たちが教えてくれるものはなにか。
そうした国々のすべてが倣ったモデルはほとんど同じだが、見逃すことができない違いもある。
①.その1つが純然たる大きさである。
なにがあろうと、中国は世界経済において強い影響力を持ち続けるだろう。
②.もう1つは人口統計だ。
小龍たちはすでに典型的なコースをたどり終えている。
その過程で欧米と同様に、田舎の労働者たちはより良い生活を求めて都市部に群がった。
この「産業予備軍」が賃金を抑え、利益率と株主資本を押し上げてきた。
こうして韓国、台湾、日本は偉大な「世界の工場」となり、その織物、工具、自動車、電子機器は、今日の中国の巨大輸出産業と同様に、欧米の産業を圧倒しそうになった。
しかし、
働き手がいなくなった田舎では、もはや産業界に安い労働力を提供できないのだ。
中国には農村の貧しい生活に別れを告げようとしている人々がまだ数千万人いる。
したがって、減少・高齢化しつつある人口が移民や出生率の増加ですぐに補充されることはない日本と混同してはいけない。
世界的にも出生率がかなり低い日本の順位は、台湾の1つ上、韓国の1つ下となっている。
これは
東アジアの「死の願望」と呼ぶべきだろう。
中国の「予備軍」はまだまだたくさんいる。
この非常に貧しい国は、強制された資本蓄積、抑制された消費、尊大なまでの環境軽視といった国家資本主義に典型的な強みについても使い果たしていない。
とはいえ、「
2015年の災い」には用心すべきである。
都市部に行きたがっている田舎の住人は多いが、中国の労働力は減少し始め、その一方で高齢化している扶養家族の数は増え続けている。
これは極端に低い出生率、健康状態の向上、寿命の延びなどの結果である。
中国で高齢化が進む一方で、米国では高い出生率と移民受け入れ政策のおかげで若返っている。
高齢化社会は単に労働力が減るだけではなく、安全と安定を求める人々と、経済成長の目に見えない原動力となっている特性、リスクを冒してでも獲得したがる人々の間の文化的バランスにも変化を生じさせている。
いずれにしても、
中国のコスト優位性は急激に落ち込んでいる。
2000年以来、平均賃金は4倍になり、かつては目覚ましかった年間成長率も、もはや1桁に鈍化している。
「公序の乱れ」の頻度で計測する
中国での不満は高まっているが、それは地方の腐敗やエリートたちの利益追求に対するもので、
共産党の政治的独占にひびを入れようとするものではない。
天安門広場での1回のデモで革命は起きない。
台湾政府や韓国政府の独裁者を追放した国民的な抗議活動に近道などない。
中国では選挙による革命がすぐに起きる可能性もない。
日本は自由選挙の国であるにもかかわらず、自由民主党一党による国家運営を排除するのに50年の歳月を要した。
中国共産党にはそうした災難を恐れる必要はない。
見せかけだけの選挙を行っている国の唯一の政党なのだから。
それでも、である。
その形が「管理された」、あるいは「誘導された」ものであれ、純粋な国家資本主義であれ、歴史は独裁主義の近代化にとって良い前兆とは言えない。
★.そのシステムは凍結してしまうか、目覚ましい成長の種を自らむさぼってしまうかして、最終的に景気停滞を生み出すことになる(
これは日本の「モデル」であり、自民党の事実上の独裁が途切れる以前の20年前から衰退し始めた)。
★.または、成長が最初に富を生み出し、次に中流層が生まれ、その後に民主化と共に福祉国家になり、成長が減速するという欧米のルートをたどるかもしれない。
これは台湾と韓国が歩んだ道であり、いわば
欧米化のオリエンタル版である。
皮肉なのは、独裁主義と民主主義の両方が、理由はかなり異なっているものの、長期的な素晴らしい成長と両立しないという事実である。
中国は今のところ、いずれの隠れた障害についても避けて進むことができている。
景気の減速も反乱もなく、経済大国になった――これは前例のない政治的な奇跡である。
その戦略は市場を解き放ち、
政治に足かせをする「面倒は起こさず、カネを稼げ」
である。
中国はこの道を歩み続けられるだろうか。
歴史の審判からすると、あまり期待できない。
By JOSEF JOFFE
このエッセーは11月4日にリブライト社から出版されるジョセフ・ジョフィ氏の著書『The Myth of America's Decline: Politics, Economics and A Half Century of False Prophecies』から抜粋した。ジョフィ氏はドイツで最も広く読まれている週間新聞ディー・ツァイトの編集者で、フーバー・インスティテューションとスタンフォード大学フリーマン・スポグリ国際教育研究所の特別研究員を務めている。
』
『
2013.10.29(火) Financial Times
http://
jbpress.ismedia.jp/articles/-/39038
中国など忘れ、ジンバブエやメキシコを見よ:経済成長の主役が変わる?
(2013年10月28日付 英フィナンシャル・タイムズ紙)
経済成長はどこからもたらされるのだろうか?
発展して先進国に名を連ねる国があるかと思えば、その段階に達する前に足踏みしてしまう国もあるのは一体なぜなのだろうか?
あまり見込みがないと思われていながら経済強国へと発展を遂げた国がある。
例えば韓国はこの60年ほどの間に、戦争で壊滅的な打撃を被った小農経済から先進国世界の正会員へと成長した。
その一方には、韓国よりはるかに良い状況にあったにもかかわらず、伸び悩んでしまっている国がある。
これは単なる天然資源や教育システムの問題ではない。
ハーバード大学のリカルド・ハウスマン氏が主導して行われた研究によれば、
経済成長は「知識によって、それも個人レベルではなく社会レベルの知識によって」決まる
という。
■社会レベルの知識で決まる経済成長
まず問題になるのは、
①.社会が何のやり方を知っているかということ。
②.そしてその次には、そうしたノウハウが新しい分野に応用できるかどうか
がポイントになるという。
もしその社会の人々が何かの分野のスキルを既に持っているのなら、そのスキルを容易に応用できる産業がほかにあるのではないか、というわけだ。
ハウスマン氏らの研究では、経済複雑度マップ*1なるものが作成された。
ノウハウがいろいろな産業をどのように結びつけてクラスター(かたまり)を作っているかを示した地図である(これを簡略化したものはwww.ft.com/authersnoteで閲覧できる)。
これを見ると、成功している新興国の多くが
●.発展の起点とした「衣料品」セクターの周りに「建設」「機械」「化学」「エレクトロニクス」などの大きなグループが形成されていることが分かる。
これらはすべて、ほかのセクターに簡単に移転できるスキルが必要とされるセクターだ。
●.一方、天然資源関連のクラスターはその外側に位置している。
石油や鉱物資源に恵まれた国々は、しばらくの間は繁栄を謳歌できる。だが、こうした採取産業には、ほかの産業に容易に移転できる専門技術がない。
これらの国々はそうした専門技術がある新しい産業を、鉱物資源で得た現金を使って意図的に育成していかなければ、現金を使い果たしたときに貧しい国に逆戻りしてしまうのだ。
そう、ハウスマン氏は、いわゆる
「石油の呪い」はあると考えている。
必要な富のすべてが自分の足元から湧き出てくる国々の指導者は、その現状に満足して必要な改革を避けてしまうことが多いというわけだ。
1970年代には世界最大級の産油国になるかに見えたメキシコが低迷した一方で、鉱物資源がほとんどない韓国がなぜあれほど急速な成長を遂げたのかという問題は、この見方で説明できるかもしれない。
では、
これから伸びる可能性が最も高そうな国はどこなのか?
候補として浮上するのは、市場の大方の見方とは異なる国々だ。
まず中南米では、ここ30年ほど伸び悩んでいたメキシコが最も成長できそうな国だと目されている。
一方、投資家の注目をここ数年一身に集めてきたブラジルの見通しは芳しくないという。なぜか?
■メキシコがブラジルより有望な理由
ハウスマン氏によれば、メキシコは航空機や情報技術といったセクターへの多角化を進めてきたため、その分だけ成長する可能性が高い。
1980年代と1990年代の金融危機により、石油だけではやっていけないことが明らかになったため、この国は米国との国境付近にある組み立て工場や製造業者に投資を行った。
安価な労働力で輸入部品を組み上げて製品を作り、国境の向こう側に送り返すという洗練されていないやり方ではあった。
しかし、これらの産業は互いに結びついている。
そうした産業のスキルがあるために、メキシコは自動車製造やエレクトロニクスなどほかの産業への多角化を進めたり、進出済みの産業で手がける製造段階を垂直方向に拡大したりすることが容易に行えるようになっているのだ。
片やブラジルは、大豆生産と鉱業を筆頭とする資源セクターに力を集中させてきた。
「コモディティー(商品)の価格が非常に高かったことを考えれば、ブラジルは驚くほど成長できていない」
とハウスマン氏は指摘する。
「もしブラジルが現在と同じ位置にとどまるか、それよりも下がるとしたら、今後の経済成長はもっと複雑な製品を作る産業に多角化できるか否かに左右されるだろう。
ただ、ブラジルではその多角化があまり進みそうにない」
中南米以外の地域についても、人々の直観に反する予測がなされている。
例えば、サハラ以南のアフリカで最も成長できそうな国はジンバブエだという。
ハウスマン氏は言う。
「生き物としての定めがジンバブエ最大の障害を、つまりムガベ氏を何とかしてくれると想定するなら、この国の社会には、所得水準の上昇につながり得るノウハウが存在している」
またチュニジアとエジプトは、「アラブの春」以来混乱に見舞われているにもかかわらず成長が有望視されている。
逆に、カタールは有望ではないという。
石油の呪いの典型的な犠牲者になってしまう恐れがあるためだ。
「石油は、カタールの経済成長の新たな源泉にはなりそうにはない。
また、カタール経済のほかの分野には、成長に貢献するものがあまりない」
とハウスマン氏は述べている。
■中国については良いニュースと悪いニュース
中国については良いニュースと悪いニュースがある。
★.良いニュースは、中国は成長できそうだとハウスマン氏の研究グループが考えていること。
★.悪いニュースは、
今から2010年代末にかけての中国の成長率は年4.5~5%にとどまるという同グループの予想は、
どこかの段階で景気後退が生じるとの見方に沿ったものであることだ。
中国は少なくとも年7.5%の成長を遂げ、その過程で世界のほかの国々を救うとの見方が一般的であることを考えれば、これはやはり良いニュースではない。
中国の経済成長率が5%を下回れば、多くの人々にとってハードランディングとなるだろう。
しかし、ハウスマン氏の見通しはもっともだと思われる。
「中国は、(国内総生産=GDP=に占める)投資の割合を現在の46%からもっと妥当なレベルに引き下げなければならない。
経済成長のペースが大幅に鈍化するか
マイナスにまで落ち込む時期がなければ、
その達成は困難だ」
なるほど、気をつける必要がありそうだ。
中国の経済成長鈍化による影響を緩和するには、ハウスマン氏が作った地図を広げ、
中国の減速とは無関係に経済成長を遂げそうな意外な国々を探すとよい
かもしれない。
By John Authers
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』
【参考】
『
サーチナニュース 2013/08/05(月) 13:11
http://
news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=0805&f=national_0805_024.shtml
【中国BBS】
中国人が議論「もしもわが共産党が倒れたら」
中国大手検索サイト「百度」の掲示板に
「もしも中国共産党が倒れたら…?」
というスレッドが立てられた。
スレ主が投げかけた際どい仮定の質問に対して、中国人ネットユーザーからさまざまなコメントが寄せられた。
スレ主は、
●.もしも共産党が倒れても中国が民主国家になることはあり得ないと主張。
●.むしろ日米などに揺さぶられて、結局は植民地となる可能性が高いため、
1].国内の動乱を起こすべきではなく、
2].共産党が引き続き政権を担い、
3].腐敗をなくして生活環境を良くしていくしかない、
と述べた。
スレ主の質問は一見すると危険だが、共産党の正当性を認める内容であるため、スレ主が検閲で監視対象となることはなさそうだ。
スレ主の主張に対し、ほかのネットユーザーからも
★.「現政権を転覆しようとするいかなる行為も、極めて愚かな行為である!」、
★.「党が政治をすると民が苦しむが、党が覆されると民はもっと苦しむ」
と、スレ主に同意するコメントが寄せられた。
しかし反論も少なくなく
「世が乱れても何も恐くはない」、
「どんな党派も寿命がある。遅かれ早かれの問題だ。ポイントはどのように終わるかだよ」、
「永遠に存在した政権などない」
などのコメントがあった。
中国のいて、共産党を否定するような意見は極めて危険であり、検閲対象となるはずだ。
またスレ主は、腐敗問題は段階を踏んで撲滅していけば良いと主張しているものの、
「中国には汚職役人が多すぎるからな。習主席は忙しくて手が回らないんじゃないか」
という意見もあった。
現政権は汚職撲滅を目指しており、賄賂や接待も減少傾向にあるが、副作用として奢侈品や高級レストランの売上が激減するなど、経済に悪影響も出始めている。
ほかには
「どうせ外敵を立てて政権を守るんだろ。つまらん」
という指摘や、
「党を変えるのではなくて、人を換えるのですよ」
という提案もあり、中国人の意見は賛否両論だった。
』