●フィリピンのタクロバンで、破壊された自宅跡で所持品を集める被災者たち〔AFPBB News〕
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JB Press 2013.11.26(火) The Economist
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39273
フィリピンの災禍:政治的、外交的ダメージも
(英エコノミスト誌 2013年11月23日号)
フィリピンを襲った恐ろしい災禍は、政治的、外交的なダメージも与えている。
11月8日に台風ハイヤンがフィリピンにもたらした苦しみと惨状は、日を追うごとひどく見え、救援や復旧作業、復興にかかる費用は膨らむ一方だ。
これまでにおよそ4000人の死亡が確認された。
1200人以上がなお行方不明で、負傷者は1万8000人を超え、直接的な被害を受けた人は1100万人に上る。
国連が当初呼びかけた3億ドルの緊急支援は、既にそれでは足りないと言われている。
大規模な緊急援助が展開されているものの、ペースが遅く、無秩序で公正さに欠けると批判されている。
自然災害は多くの場合、重大な政治的影響をもたらす。
壊滅的な被害をもたらした2004年の大津波は、復興を巡る諍いを招き、スリランカ政府と「タミル・イーラム解放のトラ」との対立を激化させただけだった。
だが、同じ津波はインドネシア・アチェ州の往年の紛争を終わらせる一因になった。
ミャンマーでは、恐らく13万人前後の死者が出た2008年のサイクロン・ナルギス襲来時の軍事政権の冷淡な対応に対する国民の反感が同国を改革に向かわせた可能性がある。
■災害対応のまずさでアキノ大統領に批判の声
残念なことに自然災害に慣れているフィリピンでは、国内でヨランダとして知られる台風ハイヤンは、それほど根本的ではないが決して無視できない影響をもたらす。
国内では、人気の高いベニグノ・アキノ(通称ノイノイ)大統領の名声を傷つけた。
地域的には、外交上の戦線をはっきり固め、地域の災害援助機構の欠点を浮き彫りにした。
亡き母コラソン・アキノ氏に対する国民の愛情を追い風に2010年に大統領に就いてからというもの、アキノ現大統領は表向きおっとりしたアプローチに対する揶揄に負けず、支持を保ってきた。
フィリピン経済は力強く成長し、大統領は汚職撲滅に真剣に取り組んでいるように見えた。
しかし、台風に対するアキノ大統領の対応は転換点となるかもしれない。
2016年までの残りの任期において、大統領は困難な改革をやり遂げようとする時に、以前ほど国民の好意に頼れなくなる。
批判はフェアではない。
ハイヤンの勢力は前代未聞で、台風自体が救援活動に必要なインフラの大半を破壊してしまった。
だが、アキノ大統領は、無頓着でいくらか思いやりに欠けるように見えたことや、責任転嫁しようとしたことで批判を浴びている。
●人気の高かったベニグノ・アキノ大統領が災害対応で批判されている〔AFPBB News〕
フィリピン国民は、大統領が台風襲撃直前のテレビ演説で「台風が通過したら、すぐに救援が到着する」と請け負ったことを覚えているが、「今後数日で国民が直面する災難の大きさ」について語った演説の趣旨は忘れてしまっている。
そして、台風襲撃の後、アキノ大統領は台風による死者数について、少なく、不正確な推定値を発表した。
最大の被害を受けたレイテ州の州都タクロバンを訪れた際には、一部の犠牲者の苦しみに対し、そっけない態度を取ったと非難された。
その1週間後に再びタクロバンを訪れ、改善が見られるまでは残ると約束した時でさえ、大統領は救援活動を批判する人たちは地元政府を問題にすべきだと述べ、責任を回避しているように見えた。
コラソン・アキノ氏が1986年にその政権転覆に一役買った独裁者の未亡人であるイメルダ・マルコス氏の出身地がレイテ島であるという事実も、国民の理解に役立たなかった。
先日、マルコス氏の息子で上院議員の通称「ボンボン」も、母方の従兄弟が市長を務めているタクロバンにいた。
レイテ島の一部住民からは、ライバル一族同士の憎悪が救援を妨げているとの声が上がった。
地元レベルでは、救援の分配における汚職だけでなく、一部の救援物資が支持政党に沿って分配されているとの訴えもある。
台風から2週間近く経っても救援物資が届かない遠隔地もあった。そんな絶望的な状況の下では、疑念が増していく。
■米中両国の支援の差歴然
また、台風被害に対して世界各国から励ましの声や膨大な募金が寄せられてはいるが、アキノ大統領はそれでも国内問題から逃れて一息つくことができなかった。
中国の最初の対応は、10万ドルの援助という微々たるものだった。
このことは、南シナ海の岩礁の領有権を巡り中国に盾突いたフィリピンの無鉄砲さに対する仕返しと考えないわけにはいかない。
中国は、そのような意図はないと否定し、すぐに支援を増額した。
しかし、インターネット上の国家主義者たちは、中国政府がフィリピンを援助すること自体を非難した。
中国が自国の長期的な意図が善意であることをアジア地域に納得させようとしているなかで、その地域の目に中国が意地悪でケチに映ることを心配する人は少数派だ。
多くの人は、自国の国益に対する中国の近視眼的な見方と、米国の見事な救援活動に好対照を見いだした。
折しも地域の評論家の多くが米国の相対的衰退を描いていた時に、これは「衝撃と畏怖」をもって発揮されたソフトパワーだった。
また、21機のヘリコプターを載せた航空母艦ジョージ・ワシントンと、通常は沖縄に配置されている新型輸送機オスプレイなど、米国が今でも太平洋で展開できる圧倒的なハードパワーを思い出させるものでもあった。
これは米国が友好国を助けているだけだとして片付けるわけにはいかないだろう。2008年当時、ミャンマーの軍事政権と米国政府の関係は冷えていたが、米国はミャンマーにも寛大な支援を提供した。
当時、ミャンマーの軍事政権が外国からの支援の受け入れを最終的に合意した背景には、東南アジア諸国連合(ASEAN)の外交に対する敬意もあった。
それ以来、ASEANは「人道支援・災害救援活動(HADR)」について話し合うことに多大な時間を割いてきた。
通常は加盟10カ国の内政に干渉することには慎重なASEANにとって、HADRは協力の可能性が明らかにある分野だ。
ハイヤンは、2年前に災害救援活動を調整、支援するために創設されたAHAセンター(ASEAN防災人道支援調整センター)の有効性を試す機会となった。
■よき隣人
AHAセンターは、台風の襲撃前にフィリピンに職員を配置していたことを誇りに思っている。
そしてASEAN加盟国は寛大だった。
例えばタイは、費用のかかる価格維持制度のせいで膨れ上がった政府のコメ備蓄から5000トンを寄贈した。
インドネシア、マレーシア、フィリピンは、航空機や他の支援物資を送り込んだ。
しかしASEANは、存在が目に見えないと非難された。
そのような批判も公正さを欠いている。
災害支援はスター発掘番組でも美人コンテストでもない。
実際、AHAセンターの努力は、フィリピン政府や世界の救援活動と同様に、誰も予想できなかったほど破壊的な台風に圧倒されてしまったのだ。
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英エコノミスト誌の記事は、JBプレスがライセンス契約 に基づき翻訳したものです。
英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。
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JB Press 2013.11.28(木)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39280
海自もぜひとも保有したい「病院船」米中がフィリピン救援活動に派遣
●インドネシア沖津波救援活動中のマーシーと空母エイブラハム・リンカーン(2005年1月、写真:米海軍)
フィリピンを襲った巨大台風から2週間経った11月22日、中国海軍の病院船が船山軍港を出発しフィリピンに向かった。
24日にタクロバン沖に到着した模様であり、本コラムが掲載される頃には、乗船している100名ほどの医師をはじめとするスタッフによる被災者への医療活動が本格化しているものと思われる。
この中国海軍病院船の派遣に関しては、アメリカ軍事関係者の間でもちょっとした話題になっている。
■アメリカと日本が救援活動「レース」に圧勝
フィリピンでの発災直後から迅速な救援活動を開始した米軍とは対照的に、南シナ海でフィリピンとの対決を強めている中国は“形ばかりの”支援金(世界第2の経済大国とは思えないほどの金額)を拠出したものの、救助隊や救援支援隊などの派遣は一切実施しなかった。
「敵に塩を送る」といった武士道精神など持ち合わせていない共産党政府としては当然の措置と言えよう。
しかし、自衛隊がヘリ空母・輸送揚陸艦・補給艦をはじめとして各種航空機や陸上支援部隊を含んだ大規模救援隊を派遣したため、さすがにアジアの盟主を気取ることが脅かされると考えたのか、あわてて海軍病院船ならびに輸送揚陸艦を派遣して、医療活動をはじめとする支援活動を実施することとなった。
フィリピン救援に関しては(今回のフィリピン巨大台風だけではなく、世界各地での大規模災害に対する国際救援活動では常に行われることではあるが)、国際軍事界では展開規模と展開速度に関する“レース”を注視していた。
結果は、相互救援協定があるアメリカは例外的存在ではあるが、アメリカそして日本が中国に圧勝したということになった。
一方、中国が急速に拡張し続けている海軍力は、日本やフィリピンをはじめとする中国周辺諸国を軍事的に威嚇する目的であったことが誰の目にも明らかになってしまった。
アメリカ海軍病院船は発災から5日目にはカリフォルニア州サンディエゴを出発したが、到着は12月に入ってからである。
そのため、被災地では中国海軍病院船の方が先に医療活動を開始することになる。
もっとも、先週の本コラムで紹介したようにアメリカ海軍空母ジョージ・ワシントンには立派な医療施設と医療スタッフが揃っており、オスプレイやヘリコプターが被災地から患者を空母に搬送して医療活動を実施しているため、アメリカ海軍が中国海軍の医療活動に後れを取ったことにはならない。
■船はあっても体制が整っていない中国
その中国海軍病院船(タイプ920病院船、識別番号866)であるが、中国海軍での呼称は「岱山島号」という。
今回の災害救援支援医療活動のような非戦時出動に際しては「和平方舟」(Peace Ark)という船名を名乗ることになっている。
2008年12月22日に就役した「岱山島号」の排水量は1万4000トンで、全長は178メートル。
病床数300で、集中治療室を20、手術室を8備えており、大規模手術を1日に40ケース施すことが可能とされている。
また、15名分の担架を搬送可能な救難ヘリコプターZ-8JHを搭載し、格納設備も備えている。
●中国海軍病院船「岱山島号」(写真:CDB)
中国海軍によると、病院船「岱山島号」を保有することで、世界中の被災地などに人道支援災害救援活動に駆けつけることが可能になるということであった。
しかし、今回のフィリピン巨大台風発災後の対応からは国際救援活動に対する準備が(少なくとも政治レベルにおいては)いまだ整っていないことが明らかになった。
これまでに「岱山島号」が出動したのは、2010年9月から11月にかけてアデン湾での海賊対処活動に派遣されたときである。
その際には海賊対処に従事していた中国海軍に対する支援活動に加えて、ジブチ、タンザニア、ケニア、セーシェルそしてバングラデシュにおいて人道支援活動を実施した。
そして、今回のフィリピンへの出動は、2度目の国際人道支援活動ということになる。
■タンカーを改造したアメリカ海軍病院船「マーシー」
上述したようにアメリカは、中国海軍に先立って海軍病院船「マーシー」(T-AH-19)をサンディエゴからフィリピンに向けて出港させた。
だが、海軍の船とは言っても病院船の航行速度は速くないため、被災地沖への到着は12月にずれ込む予定となっている。
●サンディエゴを出港する「マーシー」(写真:米海軍)
マーシーは、現在アメリカ海軍が運用している2隻のマーシー級病院船の1隻で、アメリカ海軍第3艦隊の本拠地であるサンディエゴを母港としており、主として太平洋・インド洋を活動範囲としている。
姉妹船「コンフォート」(T-AH-20)もマーシーも、ともにタンカーを改造して病院船へと姿を変えたため、中国海軍「岱山島号」と比べると巨大な船で、排水量は6万9360トン、全長272.5メートルである。
そして、マーシーの最大病床数は1000と「岱山島号」の3倍以上となっている。
海軍病院船である以上、マーシーは当然のことながらアメリカ軍ならびに同盟軍の戦闘活動の後方支援に従事することが主たる任務である。
実際に1990年の湾岸戦争に出動して、半年近くにわたりペルシア湾に滞在し、アメリカ軍ならびに多国籍軍の将兵を受け入れ、数千名の“外来”(戦場よりヘリコプターで搬送された)患者を治療し、300件以上の手術を実施した。
●マーシーの緊急手術室(写真:米海軍)
●マーシーの放射線科治療室(写真:米海軍)
ただし湾岸戦争終結後は、マーシーのほとんど全ての出動が人道支援災害救援活動である。
2004年末にインドネシア沖で発生した巨大地震・津波による東南アジア諸国の大災害に際しても派遣され、10万8000名の患者を受け入れ治療活動を展開した。
その後マーシーは、2006年、2008年、2010年、2012年と2年ごとに、アメリカ海軍が主導し太平洋周辺諸国家の軍隊や政府組織、それにNGOなども参加して実施される「パシフィックパートナーシップ」と命名されている大規模な人道支援活動に毎回参加している。
そして現在、マーシーは太平洋をフィリピンに向け航行中である。
■病院船は積極的平和主義の目に見えるツール
マーシーの出動事例でも明らかなように、海軍病院船は戦時での後方支援活動が主たる任務であるとは言っても、大規模な医療設備・要員を海を利用してあらゆる地域へ派遣することができるため、災害救援活動や人道支援活動に絶大な威力を発揮する。
まさに病院船は、安倍政権が打ち出している積極的平和主義の目に見えるツールとして適任と言えよう。
残念ながら日本には海上自衛隊という立派な海軍組織が存在するにもかかわらず、これまでのところ病院船は建造されなかった。
だが、ようやく保有する方向性で調査が開始された。
中国は、いくら立派な病院船を保有していても国際協力活動に対する運用体制が整備されていなかったことがさらけ出された。
日本の病院船建造は、中国に対抗する意味においても、歓迎すべき動きである。
もちろん、いくら立派な病院船を建造しても、専属の医療スタッフを十二分に確保しなければ、中国同様に「病院船を持っているのに救援活動に急行できない」二流海軍ということになってしまう。
そのための予算と人材確保が海上自衛隊病院船建造の先決問題と言えよう。
北村 淳 Jun Kitamura
戦争平和社会学者。東京生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。警視庁公安部勤務後、平成元年に北米に渡る。ハワイ大学ならびにブリティッシュ・コロンビア大学で助手・講師等を務め、戦争発生メカニズムの研究によってブリティッシュ・コロンビア大学でPh.D.(政治社会学博士)取得。専攻は戦争&平和社会学・海軍戦略論。米シンクタンクで海軍アドバイザー等を務める。現在サン・ディエゴ在住。著書に『アメリカ海兵隊のドクトリン』(芙蓉書房)、『米軍の見た自衛隊の実力』(宝島社)、『写真で見るトモダチ作戦』(並木書房)、『海兵隊とオスプレイ』(並木書房)、『尖閣を守れない自衛隊』(宝島社)等がある。
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