●古屋明(写真はサーチナ編集部撮影)
『
サーチナニュース 2013/11/19(火) 12:47
http://news.searchina.ne.jp/disp.cgi?y=2013&d=1119&f=politics_1119_001.shtml
古屋明「李克強は鬼になれるか」:中国の運命決める5年間
中国では9月末、上海自由貿易試験区が発足した。
中国は過去に、広東省などに「経済特区」を設けて新たな経済モデルを国内外に示し、特区における経験を生かして改革開放を全国に拡大し、経済の急成長を実現した経験がある。
かつての「特区」と上海の自由貿易試験区との違いは何なのか。
共通点は何なのか。
“なぜ今”上海で自由貿易試験区をスタートさせねばならなかったのか。
そのあたりを伊藤忠商事勤務時代に長年にわたり中国に駐在した経験があり、現在は日中経済貿易センター特別顧問などを務める古屋明氏に聞いてみた。
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――9月に上海自由貿易試験区がスタートしましたね。どのような目的があるのでしょう。
古屋:
まず、上海の自由貿易試験区だけを見てもダメです。
中国の経済全体を俯瞰(ふかん)しなければ全体が見えてこない。
中国がこれからどういう方向に行くのか、総合的、全体的に見ていく必要があります。
1点だけ申し上げると、78年の改革開放政策から35年の節目の年に上海自由貿易試験区が発足したということですね。
ですから、歴史の節目を大事にする中国として、かなり力が入っているということです。
――かつての経済特区とどのように違うのでしょうか。
古屋:
トウ小平が改革開放政策を決断した1978年にさかのぼります。(「トウ」は「登」におおざと)
毛沢東時代は政治イデオロギーが跋扈(ばっこ)した時代で、経済や国民生活を度外視した政策を推し進めていました。
特に1966年から76年の文化大革命は「不毛の10年」と呼ばれていますが、この10年間で中国は経済的に疲弊し、社会は混乱してしまいました。
この間、中国大陸周辺の中華経済圏、例えば台湾や香港、シンガポールでは経済成長が著しく、中国はこれらの周辺国に経済面で大きな後れを取ってしまったのです。
トウ小平は「これじゃ、いかん」と痛感したのですね。
トウ小平の三女のトウ榕さんの著書によると、父であるトウ小平は、中国の発展が遅れていることに焦りを感じ、はやく発展しないと、とんでもないことになると危機感を強めたそうです。
――抵抗も激しかったのでしょうねえ。
古屋:
もちろんそうですが、状況は悪くなかった。
毛沢東の取り巻きグループつまり抵抗勢力がいなくなった時期でしたからね。
それにトウ小平さんには独特の個性と哲学があって、中国人が大好きな言葉、「老獪(ろうかい)さ」を絵に描いたような人物だったので反対勢力も太刀打ちできなかった。
こうした状況下で改革開放政策に着手できたので、案外スムーズに脱毛沢東化を図ることができました。
その点、習近平さんはいま四面楚歌の状態にありますので大変です。
改革ひとつをとっても当時と比べ困難が数百倍もあるのではないでしょうか。
それに彼にはトウ小平さんのような老獪さ、カリスマ性が希薄だと言われています。
百戦錬磨ではないので人心を収攬(しゅうらん)することが難しい、とも言われています。
今年で改革開放から35年。
この改革開放政策は見事に成功しました。
国民生活が著しく向上し、世界第2位の経済大国として大きな存在感と影響力を持つようになりました。
しかし、発展のひずみがいっぱい出てしまいました。
現在、中国は大きな過渡期に直面していると言えます。
発展はしたが、貧富格差、腐敗汚職、環境破壊など負の側面が深刻化しています。
環境問題ひとつをとっても深刻です。
PM2.5が話題になっていますが、最近、黒龍江省のハルビンでは大気1立方メートルあたり950マイクログラムという極めて高い数値を記録したそうです。
日本基準では70マイクログラムを超えると外出を控えなければなりませんが、その10倍以上の値です。
大気だけではありません。
水質も土壌も深刻な状態にあります。
また役人の腐敗、つまり汚職問題が民衆の批判を浴びています。
高官全員が汚職をしているような印象すらあります。
薄熙来重慶市書記の横領や汚職の問題など高級官僚の不正が後を絶ちません。
貧富の格差も大問題です。
国民の不満はまるで、可燃性の高い枯れ草が中国全土にいっぱいになっているかのごとしです。
庶民の給与ひとつを見ても、企業や政府のトップは極めて高い水準にありますが、一般民衆は低い水準のまま。
一部のエリートと大多数を占める非エリートの格差が実に大きい。
古屋:
中国で、民間資産の85%が人口の10%である富裕層や中間層によって占められている、というショッキングなデータが最近発表されました。
――それほどまでに富が偏在したのでは、大きな不満を持つ人も増えるでしょう。
各地で反政府暴動が頻発しています。
10月末、ウイグル族の反乱が北京でありましたが、
この事件の重要なポイントは、いままで新疆の自治区内で起きたことが、とうとう自治区外で起きてしまったという点です。
ウイグル族の反乱が新疆の地方区から全国区になったということは、今後もっと大変な事態が起きる可能性をはらんでいることを意味します。
事件が、5年に1度の共産党中央の重要な会議である三中全会(注1参照)開催(11月9-12日)の直前を選んで起きたと新聞では報道されています。
もちろんそうした側面もあるでしょうが、もっと重要な点は「暴動の全国区化」でしょう。
地方での反乱だと世界に与える影響は小さい。
首都北京の厳重な警備の虚を突くことが犯人側の狙いであり、それによって最大の政治的効果を狙ったと言えるでしょう。
北京で起きたことで今回の事件は全国区になりました。
重要会議を狙ったのであれば一過性の事件になってしまいます。
事件後、党執行部は類似の事件の再発と拡散を念頭によりいっそう警備を強化しています。
――なんで、そういうことになってしまったのでしょうか。
古屋:
成長という名の一本道をわき目もふらず驀進(ばくしん)し、後を振り返ることがなかったからです。
まさに「向前看」(シァンチェンカン=前を見る、注2参照)ですね。
前しか見ない民族はどこか危うい感じがします。
成長の過程でマイナス面が出てきたことは誰の目にも明らかでしたが、党や政府は充分に配慮しなかった。
共産党による一党独裁の政治システムをチェックする健全な野党勢力が存在していないことにも一因があります。
中国には共産党以外に8つの政党がありますが、みんな共産党の補助機関。
野党機能は一切ありません。
全員与党ですから「赤信号みんなで渡れば怖くない」ですね。その結果が現在の惨状です。
富の分配が不公平な構造になっていることが大きな背景にあります。
既得権益層など党や政府、大企業の幹部などに富が一極集中し、彼らが成長の果実を独占してしまっているのです。
中国がどうして大国になったのかといいますと、それは輸出と投資の二人三脚が効を奏したからです。
好調な欧米経済に支えられて中国の安価な工業製品が大量に輸出された結果、中国は巨額の外貨を手にすることが出来ました。
それに加え、鳴り物入りの公共投資を大々的に行うことで富の増量を図った結果が世界第2位の経済大国です。
しかし、こうした輝くような時代はいまや過去のものとなりました。
①.まず輸出ですが、欧米諸国が中国の工業製品をかつてのように大量に買ってくれなくなりました。
彼らの経済が変調を来したからです。
リーマンショックやギリシアショック以降、
外需に依存した経済成長に限界が来た
ということです。
②.投資も転換期を迎えています。
ずさんな投資が多くなっています。
高速道路や鉄道、飛行場など無駄な投資が最近目立つようになりました。
借金してこうした公共事業を行ってきた地方政府は借りた金の返済に苦しんでいます。
以前と比べ投資効率が著しく低下していることも投資依存の政策に限界が来たことを示しています。
公共事業はまた、役人の腐敗の温床でもあります。
当初の予算が100%事業に使われるとは限りません。
途中でお金の一部が“蒸発”して役人の掌中に落ちる。
最近では地方政府の資金源となってきた影の銀行問題が明らかとなり、公共事業の不透明性が明らかになっています。
なぜ地方の役人は公共事業に手を染めるのか。
それは、公共事業をやれば手っ取り早く経済成長できる。
それによって自身の出世をもぎ取ることが出来るし、自分の懐にカネが入ります。
まさに公共事業は「打ち出の小槌」と言ってもよいでしょう。
――それでは、中国経済に出口はないと……
古屋:
いや、そんなことはありません。
★.中国に残された「最後の切り札」は個人消費を核とする内需振興です。
輸出と投資が頼りにならなくなった現在、中国政府は個人消費を増やすことに力を入れなければなりません。
政府はこのことに気付いて、努力をしているのですが,実効があがっていません。
どこの国だって消費が伸びないと経済は成長しないし、それどころか逆に停滞します。
日本だってそうだったでしょう。
過去20年間、消費が低迷し、デフレスパイラルに落ち込んで苦しみもがいたではありませんか。
中国だって隆々たる消費がないと、先進国の仲間入りはできません。
個人消費の伸びこそ、成長の持続性を担保する鍵なのです。
成長モデル転換の必要性を痛感して、全力で取り組もうとしているのが李克強首相です。
その政策は「リコノミクス」と呼ばれています。
内需への転換に成功しなければ、中国は大変なことになる、と彼は認識しています。
――うまく、いくでしょうか?
古屋:
5分5分ですね。
内需拡大の足かせがいくつもあるからです、
これらを1つ1つ解決していかねばなりません。
それには先ず、貧しい人々の所得の底上げを図らなければなりません。
そして、人々の将来への不安を払拭(ふっしょく)する必要がありす。
庶民はお金がないと消費しません。
当りまえの話です。
その点、最近数年の間に最低賃金の上昇や企業の賃上げなどで所得が向上していることは大変よい事です。
でも賃金水準はまだ低い。特に内陸部の圧倒的多数の農民の所得は、都市部の住民ほど上がっていません。
それに、お金があっても将来、特に老後の生活がどうなるかよく分からない状況で、お金を使う気にはなれません。
将来不安を払拭する手段のひとつとして保険改革があります。
しかし、中国の社会保障はよちよち歩きの赤ん坊みたいなものです。
保険、年金、医療、介護などの制度を整えていかねばなりません。
社会保障を充実させるには膨大な資金が必要です。
日本では65歳以上の高齢者が人口の25%。そして国家予算の2割程度が社会保障関連に使われています。
一方、中国では65歳以上の高齢者が9.4%、人口にして1億2000万人です。
これが2050年には3億人になる見通しです。
社会保障関連経費は莫大(ばくだい)なものになるでしょう。
政府の財政負担は大変です。
日本の比ではありません。
財源の確保には経済成長が欠かせません。
が、人口の高齢化は成長を阻害し、社会の停滞を招きます。
成長して社会保障の原資を得なければならないのですが、その成長もままならなくなるとすれば、中国は重大な局面に立たされることになります。
――こうした新たな改革には、抵抗勢力の問題もあると言います。
古屋:
そうですね。まず李克強首相のことを考えてみましょう。
彼は共青団(共産主義青年団)出身のエリートです。
カミソリのように切れすぎて困るぐらい、と言われています。
そして、共青団出身者と言えば、胡耀邦、胡錦濤、李克強と続いてきた系譜があります。
胡錦濤前国家主席は、「このままの成長モデルではダメだ」という強い危機意識を持っていましたが、改革に失敗しました。
それだけ、既得権益層の抵抗は強大でした。
私は、李克強首相は救国の情熱を持つ人と考えています。
だから、新たな改革に真剣に取り組もうと決意した。
名利を求める人、「ダラ幹」とは一線を画しています。
彼が目指しているのはまさに「第2のトウ小平」なのです。
ただ、どこの国でも改革に対する反対派は出てきます。
李克強首相が高い志を持っていても政治家としてはそれだけじゃだめ。
必要なのは実現力です。
経済を成長させて国民の所得を向上させねばならない。
そうして富の偏在を是正せねばならない。
つまり、富の分配制度の改革がまず必要です。
ただ、富の分配制度の改革に着手しようとすれば、現行の方式で利益を得ている人が抵抗するのは当然です。
――人々の経済活動を大幅に自由にしたのだから、格差が出てしまうことは必然だったのではないでしょうか。
いや、考えてみれば、トウ小平が唱えたのは「先富論」だったのです。
経済を発展させる条件が整っている沿岸部がまず豊かになって、それを内陸部に広げて皆が豊かになるという構想だったのです。
その意味で、先富論は「共同富裕論」と一体だったのです。
ところが、この「共同富裕論」が忘れ去られて、格差が固定化し、さらに拡大していった。
李克強首相には、首相に就任する前から、これから進める新たな改革について腹案があったはずです。
そのひとつが、上海自由貿易試験区だと思います。
この試験区の「目玉」は規制緩和ですね。
金融と貿易が対象になります。
思い起こせば、トウ小平が広東省など南方で始めた改革開放政策で目指したのは、製造業など工業力の発展でした。
李首相は上海で金融と貿易の発展を狙っています。
――金融といえば、香港の役割はどうなるのでしょう。
古屋:
香港を中国随一の金融センターとして維持しようという構想はもうありません。
もちろん、香港は上海を補完する第2の金融貿易センターとしての役割は果たしていくと思います。
トウ小平が改革開放政策を南の広東省などで着手したのには意味がありました。
香港に近かったということもありますが、北京から遠いので失敗しても政治的に受ける傷は小さいという読みもあったのでしょう。
モデル地区を定めて集中的に取り組む方式は中国の伝統的な手法です。
以前、工業は大慶に学べ(注3)、などのスローガンがあったぐらいですからね。
改革開放政策を南方に特定して始めたのもそういうことです。
中国は大きい国土を有していますので何か新しいことを始める際は特定の地域を決めて、そこにお金と人材を集中投下して試験的に行う性格が強い。
要するに中国は実験国家なのです。
失敗したらやめる、成功したら全土に広げていく、という方式ですね。
法律もそうです。暫定法とか試験弁法などを最初に出して産業界などの反応を見るのです。
今、李克強首相が金融や貿易の自由貿易試験区に「上海」を選んだのも実験国家・中国の特徴がよく出ています。
李克強首相は江沢民元総書記の“おひざ元”(上海)に試験区を置いたわけです。
そして、何があったのか不明ですが、9月末に行われた試験区発足のセレモニーには、中央政府から高虎城商務相しか出席しなかった。
このあたり、いやな予感がしますね。
●注1:
<三中全会>
中国共産党は5年に1度、秋に開催される党大会で中央委員会を選出する。中央委員会は選出直後に全体会議を開催する。これが第1次中央委員会全体会議で「一中全会」と呼ばれる。翌年3月の全国人民代表大会の前に共産党中央委員会は再び全体会議を開催(二中全会)。同年秋には「三中全会」を開催する。「三中全会」は前年秋に発足した政権が政策の方針を示す、極めて重要な政治イベントだ。
●注2:
<向前看(シァンチェンカン)>
中国語で「前を見るの意」。発音が同じ「向銭看(=カネの方を見る)」のもじりでもある。金を儲けることだけが念頭にある「拝金主義」を皮肉る言い方。中国人自身が自嘲(じちょう)気味に使うことが多い。
●注3:
<工業は大慶に学べ>
中国共産党が1964年2月5日に全国で展開することを宣言した工業発展運動。中国では比較的大規模な原油の埋蔵が予測されていたにもかかわらず、油田の開発が遅れていた。毛沢東は52年、解放軍も投入して石油資源の発達に全力を挙げるよう指示した。その結果、1959年に遼寧省から黒龍江省にかけての一帯で油田が見つかり、建国(国慶)10周年目に発見されたことから「大慶油田」と命名された。
中国共産党は同時に「農業は大寨に学べ」とも宣言。山西省の寒村だった大寨村は、集団農業が成功した模範例として賞賛されるようになった。「大慶油田」の場合、国際的に孤立する一方で輸入に頼らざるをえなかなった石油事情を一変させるという、経済、政治、軍事という幅広い面で、中国の国家運営にとって大きな貢献があった。「大寨」の場合には、政治的な思惑にもとづく事実を無視した「大絶賛」が広がったことで、農業の発展や自然環境の保全についての弊害が大きかったとされる。
背景や実情は異なるが、中国において「物事を変えていく場合に、モデル地域を設定する」という手法は定着している。モデル地域での試行は、「うまく行くかどうか確認する」という方法論上の問題以外にも、「実績を見せて反対意見を抑える」という、政治手法上の目的がある。
【プロフィール】
古屋 明(ふるや・あきら)
1947年生まれ/1972年3月 東京外国語大学中国語科卒業
72年4月 伊藤忠商事(株)自動車第二部/80年4月 中国室機械チーム/84年5月上海事務所副所長(兼)機械部長/89年10月中国室機械チーム
92年9月 大連工業団地投資(株)取締役(東京駐在)/93年10月 伊藤忠商事(株)大連事務所長/1994年8月 大連事務所長(兼)伊藤忠(大連)有限公司総経理
97年4月 海外市場開発部アジア・中国・大洋州室長代行/98年7月 海外・開発部アジア・中国・大洋州室長/2001年4月 海外市場グループ長代行(兼)中国室長
06年10月 伊藤忠中国総合研究所 代表
07年4月 亜細亜大学非常勤講師(-現在)
08年4月 中央競馬会・競馬国際交流協会評議員(-現在)
11年10月 日中経済貿易センター特別顧問(-現在)
13年4月 伊藤忠商事(株)伊藤忠中国総合研究所顧問(-現在)
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【トラブルメーカーからモンスターへ】
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