●安い賃金や海外市場への容易なアクセスという立地のために、雁田は1990年代に活気のない農村から製造業の中心地へと変貌を遂げたが、今では景気拡大を維持しようと苦しむ中国の象徴となっている
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ウォールストリートジャーナル 2013年 9月 18日 19:58 JST
http://jp.wsj.com/article/SB10001424127887324353404579082723963653190.html
By TOM ORLIK
中国経済の力の衰えを示す町─雁田
【雁田(中国)】
中国東南部の工業都市、雁田が同国の巨大な輸出ブームの象徴だったのはそれほど昔のことではない。
しかし、現在、この都市は、成長維持であえぐ中国の苦難の象徴となっている。
低賃金や海外市場への容易なアクセス、経営手腕のある地元指導部といった要因は、雁田が1990年代に、活力の乏しい農業集落から15万人近い人員を擁する製造拠点へと変貌を遂げることに寄与した。
98年までには外国企業400社以上が拠点を設け、輸出向けにエレクトロニクス製品やおもちゃ、腕時計を量産し始めた。
日本人や香港から来た工場長が退屈しないようにゴルフコースや高級ホテルも設けられた。
現在、市の外国企業数は150社前後に減少した。
人件費の増加や土地不足、海外での消費需要の衰退によって破綻や格安な場所への移転を余儀なくされた企業もある。
一時は就業機会を求めて雁田に殺到した地方労働者の数も半分近く減った。
数々の悪材料を受け、当地の政府高官は新しい成長源を探すようになった。
高リスクの不動産投資など他の収入源に期待して再編に動いている。
「輸出セクターに長い未来はない」。
雁田の新しい党書記、トウ澤榮氏はこう話す。
地元の伝説によると、トウ氏は、長年孤立政策を講じた中国で経済開放を進めたことで知られる元最高指導者、故トウ小平氏の遠い親せきだと言われる。
雁田の課題は中国が今日直面する問題を微視的に示している。
国家統計局によると、4-6月期の中国経済は前年同期比7.5%増にとどまった。2007年4-6月期に記録した14.8%増から大いに減速した。
数十年にわたり、世界で最も人口の多い国は、成長を加速させるために単純な公式に頼った。
★.膨大な安い労働力に、
★.新工場とインフラへの巨額の投資を組み合わせ、
中国は故毛沢東統治下の長年の混乱時に無駄にした経済的エネルギーを発散した。
海外からの投資も殺到し、中国は世界の工場と化した。
中国国家統計局によると、年間成長率は1980年代、90年代、2000年代に平均10%に達した。
しかし、中国では現在、旧来のモデルをけん引してきた燃料が底を尽きたかのように見受けられる。
海外の競争相手をしのいで中国の工場が繁栄し続けることに寄与した無数の低賃金労働者は枯渇しつつある。
一方、新機器投資やその他の資本は以前のようには大きな成長をもたらしてはいない。
人口構成は公式の変化では大きな部分を占める。
中国の労働人口は2012年に減少したが、これは過去30年にわたる改革期を通じた上昇基調からの転換を示す。
その主因は一人っ子政策によって低下した出生率にある。
2010年から30年にかけて中国の労働者数は6700万人減少すると国連は予想するが、これはフランス全体の人口を上回る規模だ。
求職中の労働者の減少に伴い、賃金は急上昇した。
政府統計によると、工場の賃金は3年にわたって2桁台の伸びを示した。
このため、一部のメーカーはバングラデシュやベトナムなど一段と低コストの競合国へと移った。
一方、輸出の伸びは鈍化し、03年から07年にかけて年平均「30%」のペースで伸びたものが、
今年の1〜8月には「9.2%」増にまで減速したことを海関総署(税関当局)の統計は示す。
問題の山積は直ちに明確になったわけではない。
こうした問題は世界的な金融危機後、中国が経済に数兆ドルもの信用を注入したことでおおむね隠された。
資金注入は巨大な鉄道、道路の建設や他のインフラ整備に充てられ、成長維持につながった。
中国の経済は最近になって新たな立ち直りの兆しを示している。
今年前半の新たな金融緩和策も寄与して鉱工業生産など主要指標に堅調さが見られるようになった。
しかし、中国経済が以前のような成長レベルへと勢いを取り戻すと考える向きは内外ともに少ない。
「大改革に乏しい状況」では現在の勢いを維持することにも苦労するとの見方が大勢を占める。
中国が世界最大の輸出国であることに変わりはないものの、以前享受していた優位性は着実に失われ、過去の
輸出主導の超高速成長を再現できる確率は低下
している。
負債水準の上昇も逆風に加わっている。
中国共産党指導部による11月の重要会議について、政府は、経済をより持続的な過程へと導く試みと位置付けている。
11月の約5年ごとに開催される全体会議には歴史的意義が含まれる。
1978年にトウ小平氏が毛沢東氏の後継者に選ばれた故華国鋒氏との権力闘争に勝ち残り、過去10年にわたる過激主義を否定し、改革開放への道を切り開いたのもこの会合だった。
トウ氏は市場志向の政策を推進し、その後は国の繁栄には「先に豊かになれるものから豊かになる」ことが肝要だと述べた。
2013年には、新たに就任した習近平党総書記もまた、次第に勢いを失う経済に活力を注入するという課題に直面している。
特に急務となるのは、中国の2億6000万人の地方労働者と出生地の社会保障とをつなげる戸籍制度の改正だとエコノミストは指摘する。
現行規則の下、労働者は無償の医療、教育、他のサービスを受けるためには地元に戻る必要がある。
この制度は代替となる若い地方労働者が存在するかぎりは機能した。
しかし、事情は次第に変わりつつある。
地方労働者に対する支援の欠如は経済にドミノ効果を及ぼした。
地方出身者の多くは国家が基本サービスを提供しないためにお金を節約する必要があり、支出を控えている。
国家統計局によると、中国の国内総生産(GDP)に占める国内消費の比率は36%前後。
対照的に米国の同比率は70%だ。
つまり、中国は成長を促すために輸出や公共投資に依存するしかない。
雁田は、中国のこれまでの成長モデルの多くの優位性とともに、その耐久性をめぐる新たな不透明感をも象徴している。
市境に27ホールのゴルフコースを持つこの市には工場群が不規則に広がっている。
町を見渡せる丘の上にはトウ小平の銅像を含む神棚がまつられている。
地元民は、数百年前にさかのぼるとトウ司訓という先祖を共有していると語る。
中国が1980年代に開放政策を開始すると、この町でも飛躍の機は熟した。
香港から1時間、深センの隣という戦略的な立地条件もあって、輸出ブームに向けて完全な条件が備わった。
深センは中国の世界経済への第一歩であった「特別経済区域」に指定された。
地元のトウ党書記は「玄関の外に金の丘を見つけたかのようだった」と語った。
トウ氏は、一族の人脈を巡る臆測はあまり重視しないと述べるが、それでも裕福になることをめぐるトウ小平の格言は心に刻んだようで、トウ氏は輝かしい白いスポーツ多目的車(SUV)に乗り、乱高下する中国の株式市場で投機にいそしみ、最近の投資収益を示すために札束を振りかざす。
輸出への過剰な依存の危険性は1990年代後半にも鮮明になり始めた。
当時はアジア金融危機の影響で雁田の一部企業が破綻した。
2008年の金融危機で赤字に陥った企業もある。
北京師範大学の胡必亮経済学教授による調査では、200社以上が破綻、または人件費などコストが低い場所へと移動したことが明らかになった。
現在、残る工場は収益性の低下に直面している。
賃金や05年以来、米ドルに対して34%高となった通貨の上昇も響いた。
現地で4000人近い労働者を雇用する日本企業、東莞信濃馬達(信濃モーター)の青柳秀雄総経理も経済の揺れを感じている。
賃金コストは07年から40%上昇したと同氏は話す。
自動車からボイラーまであらゆる製品向けにモーターを生産する同社は12年にようやく収支トントンとなった。
今年は若干上向き、利益率は3%前後になる見通しだと青柳氏は話す。
親会社は700マイル(1100キロ)北の安徽省に別の小規模な工場を設けた。
しかし、東南アジアに向かう重要顧客が増えれば当地での工場設立の可能性もある、と青柳氏は述べた。
引き続きかなり成功している企業でさえも、ある程度の緊張を感じている。
サムスンやパナソニックのような企業向けに携帯電話機やカメラ用のケースを製造する君輝もこうした企業の1社だ。
君輝の林美輝総経理(41)は、企業は引き続き伸びており黒字だと語った。
林氏は今年操業開始したばかりの雁田の新工場に1億元(16億円)を投じたばかりだ。
しかし、工場を完全稼働で運営するために必要な労働者550人のうち、これまでは440人しか確保できていないという。
林氏は、銀行は同社の担保が限られるために融資に消極的だと明らかにした。
新工場向け資金は過去の利益や知人からの借り入れでまかなった。
地元のトウ党書記にとって、雁田の将来は輸出向け低付加価値物品の生産にはあるのではない。
同氏は「あまりに多くの人が同じ物を製造している」と指摘する。
市に残る工場の多くは破綻したものよりも資本集約型で専門化されているが、それでも東南アジアの競合の脅威にさらされることに変わりはない。
輸出減速に直面する他の地方指導部と同様に、雁田の指導部も経済に弾みをつけようと不動産に向かっている。
当地の中心街には大型住宅プロジェクト3件が進められ、すでに足場やクレーンが用意されている。
また金融サービスへのシフトも見られ、町は融資保証会社に投資し、起業家に多くの資金を提供するために小規模な融資会社も計画している。
地元指導部は、こうした動きは町の蓄えを低金利の銀行口座に放置するよりも有効に活用する方法だと述べる。
それでも、中国の債務水準の増加をめぐる懸念の広がりを踏まえると、信用事業への参入にはリスクを伴う時期となる可能性もある。
不動産への動きはギャンブルでもあるが、これまでは町に報いる動きとなっている。
中でも最大の不動産計画である面積27万平方メートルのヴィラ開発プロジェクト「藍山(ブルーマウンテン)」では、黄色いゴルフカートを運転する営業担当の女性が近隣の深センから訪れた潜在顧客を敷地内の人造湖周辺へと案内する。
土地を保有する市はこうした開発から収入を得ている。
別の近隣プロジェクトでは、市は権益55%を買収した。
経済学教授の胡氏は、雁田の指導部が市の経済モデルに必要な変化をもたらしていると指摘する。
「昔の党書記は農業から製造へとシフトし、新しい党書記は製造を改良し、サービスへとシフトしている」。
胡氏はこう話す。
それでも、価格急騰は不動産バブルが形成される様相を示している。
雁田の住宅価格は07年から2倍上昇しているが、その間、デベロッパーはアップルのコンピューターから金の延べ棒まで買い手を勧誘する施策を数々提供してきた。
多くの地元住民が自宅を2軒保有しており、実需に加えて投機も販売をけん引している状況が伺える。
こうした懸念は中国全土に広がっており、旺盛な建設ラッシュを経て、
空き室の不動産に満ちたゴーストタウンが各地に散らばっている。
エコノミストは、雁田や中国の他の地域で一段と持続的な成長をもたらすには地方労働者が故郷に帰るよりも当地にとどまるよう待遇を改善する必要があると述べる。
これは地元の物品、サービスに対する需要拡大につながるほか、先進の工場や他の事業が根ざすことも容易になる。
オーストラリア国立大学のシン・メン経済学教授の調査によると、20代半ばまでには中国の地方居住者の37%が仕事を求めて都市部に移るという。
一方、30代半ばになるまでには、故郷を離れたままの人の比率は18%にすぎない。
雁田はその8万人前後の地方労働者に対して中国の大半の町よりは多くを提供している。
町の補助の下で基礎教育が一部の子どもに提供されている。
資格の有無は社会保障費の支払いや自宅保有、中国の一子制度の順守などを考慮した採点制度に基づいて判断される。
各工場も労働者の医療保険制度を拡張している。
雁田では、地方労働者への依存度が低い他の地域よりもこうした義務を厳格に執行している。
しかし、基礎教育の資格を得るための条件を例にあげると、これは多くの地方労働者にとって厄介なものだ。
自宅を購入する財力に乏しい人が大半を占める。
湖北省出身の30歳の女性、雷彬彬さんのように考える人は多い。
雷さんは、雁田にいるのは「一時的にすぎない」と述べた。
当地で医療保険もなく、生後13カ月になる息子が学校に通う年になっても保証された場所もないため、雷さんは夫とともに故郷に戻る予定だ。
「われわれは本当に彼らを必要としているが、政治的見地から彼らを追い払っている」。
雁田の地元政府のナンバー2、トウ満昌氏は述べた。
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【トラブルメーカーから友なき怪獣へ】