2013年11月21日木曜日

フィリピンを襲った超大型台風:地獄より悲惨な爪痕:オスプレイの大活躍

_

●台風30号により大きな被害を受けたフィリピン・レイテ島の町パロで、町の南部にあるビーチに救援活動のために着陸しようとする米軍のヘリコプター〔AFPBB News〕


JB Press 2013.11.21(木)  The Economist
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39225

フィリピンを襲った超大型台風:地獄より悲惨な爪痕
(英エコノミスト誌 2013年11月16日号)

 記録に残る史上最大級の台風がフィリピン各地を壊滅させたが、救援物資はなかなか届かない。

 恐ろしい嵐や洪水、地震に長く慣れてきたフィリピン人は、自然災害に直面しても大抵は平然としている。
 だが、11月8日にフィリピン諸島の中部を直撃したスーパー台風は、平均風速が時速250キロという前代未聞の規模だった。

 後に残った被害の大きさは衝撃的だった。
 ベニグノ・アキノ大統領は、その惨状を「国家的災難」と宣言した。

 台風に見舞われたいくつかの町は、2度と完全には復旧しないかもしれない。
 今のところ、フィリピンはもっと周到に準備ができていてもおかしくなかったのではないか、そして太平洋沖を――最近は特に頻繁に――進んでくる激しい暴風雨の影響を和らげるために何ができるかという疑問が投げかけられている。

■貧しい地域を直撃

 多くのフィリピン人は、国連の第19回気候変動枠組み条約締約国会議(COP19)がポーランドのワルシャワで開催されていたちょうどその時に、今回の台風がやって来たことを心に留めている。
 フィリピン政府は、人為的な気候変動が台風のリスクを高めていると主張するが、科学者たちははっきりとした確信が持てずにいる。

 台風ハイヤン(フィリピンではヨランダと呼ばれる)に襲われた地域の中には、人里離れたところもある。
 ハイヤンが襲撃してからほぼ1週間が経っても、被害の正確な全貌は明らかになっていなかった。
 政府は、2300人以上が死亡したと述べている。
 レイテ島のタクロバンなど最も被害の大きかった場所で収容される遺体が増えるにつれ、死者数は増えるだろう。

 政府は、ハイヤンにより約700万人が被災したと話す。
 国連は最大で1100万人に上ると言う。
 家を失った人は約60万人に達する。

 台風による経済損失は、初期の推定で約150億ドルとされる。
 この比較的少ない数字は、ハイヤンが荒廃させた地域の一部はフィリピンで最も貧しい地域だという事実を反映している。

 こうした後進性は、多くの場所で救援活動がなかなか進まない理由を説明する一因にもなっている。
 道路や空港は従来とても素晴らしいと言えるものではなかった。
 ハイヤンは今、そのインフラの多くを破壊してしまった。

 救援物資は、開発が進んだセブの観光拠点にはかなり容易に空輸されている。
 だが、国連機関や非政府組織(NGO)は、物資が切に必要とされている地域に食料や医薬品を運ぶのに悪戦苦闘している。

 ハイヤンで家を失った村人たちは、セブからセブ島最北端のダーンバンタヤンに向かう曲がりくねった主要な沿岸幹線道路沿いにいる。
 なぎ倒された木々、壊滅状態の農作物、倒壊した電線、吹き飛ばされた家といった惨状の中で、
子供たちは乱雑に書かれた段ボールの標識を掲げている。
 「助けて」「食料が必要」――。

 ダーンバンタヤンの町役場では、アウグスト・コッロ町長が、被災者たちのための救援物資は到着しつつあるが「十分ではない」と言う。


●フィリピン・レイテ島のタクロバン郊外で、支援を求めるメッセージが書かれたプラカード〔AFPBB News〕

この地域の8万6000人の住民全員が被災しており、食料、水、避難所、医薬品を必要としているという。

 地域の住宅の90%以上が被害に遭ったか、破壊されている。
 ダーンバンタヤンでは、台風によって9人が死亡し、50人以上が負傷した。

 救援活動では、当局がコメ、ペットボトルの水、缶詰食品を配っている
 。だが、マージー・フローレスさんは、11月13日の早朝にダーンバンタヤンの町役場に到着した時、遅すぎたことを悟った。
 食料がすべてなくなっていたのだ。
 「私たちはとてもお腹が空いています」とフローレスさんは話す。

 ダーンバンタヤンの町外れにあるマリンジンでは、救援物資を積んだ1台の大型トラックが到着する。
 村人たちは、プラスチック袋に入ったコメやペットボトルの水を求めて押し合っている。
 職員のフランシスコ・ロザレジョスさんは、500人が食べられるだけの量はあると言うが、それはこの地域の人口の半分に過ぎない。

■地獄より悲惨な光景

 ほとんどの人は農民だとロザレジョスさんは説明する。
 天候が持ちこたえてくれて、農民たちが種を手に入れられれば、彼らはすぐに壊滅状態の畑を植え直すことができるが、そうでなければ、村人たちがどうしてやって暮らしていくのか見当がつかないと言う。

 セブから海峡を挟んだ反対側のタクロバンでは、状況はもっとひどい。
 ハイヤンは、数十万人が暮らす町をほぼすべて破壊した。
 ある救助隊員は、その光景を「地獄より悲惨」と表現する。

 台風から5日経っても、まだ食料やきれいな水はほとんどなく、医療用品もほとんど届いていなかった。
 その結果、数千人が町から脱出することを期待して、郊外にある大破した空港に移動してきている。
 来る日も来る日も、ほとんどの人が失望している。


●フィリピン・レイテ島のパストラナ近郊で、空軍機から投下された援助物資に向かって走る被災者たち〔AFPBB News〕

 一方、トイレやきれいな水がないため、腸チフスやコレラ、肝炎が発症するリスクが高まっている。
 死体は路上で腐敗しており、病院はほとんど大破している。
 生存者の窮状は、次々に発生する熱帯性低気圧の次の低気圧によるさらに多くの雨によって悪化している。

 生存者は、脱獄者もいると伝えられている犯罪者や略奪者のことも恐れている。
 ハイヤンに襲われた後は、多くの場所で法と秩序が崩壊している。警官隊や地元政府の役人も、一般市民と同じように台風で苦しんでいる。

 レイテ州のパロでは、台風の後は983人の地元警察官のうちわずか34人しか職務に姿を見せていないと伝えられている。
 食料輸送隊や倉庫が武装集団――と死ぬほど腹を空かせた人たち――に略奪されたという報道もある。
 今は、もっと多くの警察と軍隊が飛行機で到着しつつある。

 多くの人が亡くなる中で、世界でも非常に暴風雨に見舞われやすい地域がなぜこれほど大きな被害に遭うことになったのかという疑問が浮上している。
 特に超大型の台風が近づいているという警告が2日近く前にあったことを考えると、間違いなく当局はもっとうまく対処できたはずだ。

■同じハイヤンに襲われたベトナムとの違い

 ハイヤンがフィリピンを襲った後に通過したベトナムとの比較が行われている。
 ベトナムでは、ハイヤンがもたらした被害は予想よりはるかに小さかった。
 死者は14人程度だったが、全員が台風に備えて準備している最中に命を落としている。
 ある事前の推定では、ハイヤンはベトナムの人口9000万人のうち650万人に被害を与えると言われていた。

 確かに、ハイヤンは南シナ海を通過する間に勢力が衰えていた。
 だが、しっかりした準備も重要な要因だった。
 国際赤十字・赤新月社連盟(IFRC)は、ベトナム政府が80万人近い人々を沿岸部から避難させたことを称賛した。

 国連も、ハイヤンに備えた準備を個人的に監督していたと見られるグエン・タン・ズン首相が、災害に対応して政府高官を支援に動員する一方、賢明にも最高水準の警戒を宣言したと指摘した。

 だが、フィリピン当局の中にも、暴風雨警報に直ちに対応したことで、称賛に値するところはある。
 約100万人が普段は安全と考えられていた建物に避難したからだ。
 問題は、台風の勢力がどんな準備をも上回る規模だったことだ。

 暴風雨に耐えられると考えられていた大きな屋内競技場に、数千人がたどり着いたタクロバンを例にとってみよう。
 予想通り、特別に強化された屋根は残ったが、代わりに人々は、建物を水浸しにした高さ5メートルの高潮によって死亡した。
 タクロバンでは、高潮は津波のようだった。
 誰も高潮がこれほど大きな被害を与えるとは予想していなかったようだ。

 ハイヤンがギワンに上陸した時は、最大瞬間風速が時速315キロメートルに達していた。
 これは、史上最高記録だと考える人もいる風速だ。
 まだほとんど近づけない状況にあるギワンでは、生き延びた人はほとんどいなかったかもしれない。

 これだけの規模の自然の猛威に本当に備えていた人が誰もいなかったとしても、多くの専門家は、今後もっと多くの台風がやって来ると考えている。
 西太平洋は、赤道の北側で最も頻繁に熱帯低気圧が発生する場所だ。

 例えばアジア開発銀行は、過去数十年間を均してみると、熱帯低気圧の年間平均個数は大幅に増加したわけではないが、海面温度と気温の上昇のせいで個々の熱帯低気圧の激しさが増していると考えている。

 この地域では海面も上昇している。
 フィリピンの首都マニラのような都市にとって、リスクは重大だ。
 というのも、マニラは、地下水の利用と構造物の基礎の重さで地盤も沈下しているからだ。
 これらはすべて、致命的な洪水のリスクを高めている。

 不安定で分散的、かつ汚職が多いフィリピンの政治システムも助けにならない。
 ベトナムの共産党政権は、その厳しい抑圧と民主主義の欠如をしばしば非難される。
 だが、台風が襲来した時、管理職の多い官僚制度は国軍の助けを借りて、沿岸部の地域を危険な状況からうまく救い出すことができる。

■事態が落ち着いた後・・・

 フィリピンでは群島が7100の島々に広がっており、中央政府の命令が遠方まで及ぶことはめったにない。
 実際、イスラム教徒の反政府活動家が何十年もの間あからさまな反乱を起こしてきた(もっとも、現在は和平交渉が進行中の)ミンダナオの南部地域では、中央政府の指令はほぼ完全に機能停止になる。

 中央で作成された善意の計画はしばしば無視され、地方の汚職によって中央で配分された資金の一部も奪い取られる。
 多くの人は、今まさに海外から殺到しようとしている援助がすべて最も助けを必要とする人たちに届くかどうか疑問に思っている。

 問題は、ハイヤンの最悪の結末が過ぎ去った段階で、フィリピン人が物事を進める政治のやり方を受け入れるのか、それとも、責任ある立場の政治家により多くのことを要求し始めるのかということだ。

© 2013 The Economist Newspaper Limited. All rights reserved.
英エコノミスト誌の記事は、JBプレスがライセンス契約 に基づき翻訳したものです。
英語の原文記事はwww.economist.comで読むことができます。



CNN ニュース 2013.11.23 Sat posted at 10:08 JST
http://www.cnn.co.jp/world/35040381.html?tag=top;mainStory

台風ハイエンによる死者5209人に フィリピン

 今月フィリピンを襲った超大型の台風30号(ハイエン)による死者数が22日に5209人に達した。
 国営フィリピン通信が国家災害リスク軽減・管理評議会(NDRRMC)からの情報として伝えた。

 ハイエンによる死者数は21日に4000人強だったが、わずか1日で大幅に増加した。
 PNAによると、22日現在の負傷者数は2万3404人で、1582人が依然として行方不明だという。

 ハイエンは8日にフィリピンの6つの島に上陸した。
 被災地の事態は深刻で、多くの人が食料支援や医療を受けられない状況が続いている。
 この台風で一部のコミュニティが壊滅的な打撃を受け、約300万人が避難を余儀なくされた。







JB Press 2013.11.21(木)
http://jbpress.ismedia.jp/articles/-/39216

日本で報じられないオスプレイの大活躍、
普天間基地から14機がフィリピン救援に

「フィリピンに向け普天間基地を飛び立つオスプレイ」

●Ospreys Launch from Okinawa

「フィリピンに到着したオスプレイ」

●Post Typhoon Haiyan Supply Run at Villamor Air Base

69年前の1944年10月23日から25日にかけて、レイテ島をめぐって日本海軍とアメリカ海軍(オーストラリア海軍との連合軍)が激突した(レイテ沖海戦)。

日本海軍は航空母艦4隻、戦艦9隻、重巡洋艦14隻、軽巡洋艦6隻、駆逐艦35隻、航空機300機(艦載機+陸上基地機)を投入し、アメリカ海軍は航空母艦16隻、護衛航空母艦18隻、戦艦12隻、巡洋艦24隻、駆逐艦141隻、航空機1500機(艦載機)、その他魚雷艇、潜水艦、補給艦等多数を投入して、3日間にわたって4カ所で海上航空決戦が展開された。

レイテ沖海戦の結果、アメリカ海軍は空母1隻、護衛空母2隻、駆逐艦2隻が撃沈され、200機の航空機を喪失した。
一方、日本海軍は空母4隻、戦艦3隻、重巡洋艦6隻、軽巡洋艦1隻、駆逐艦4隻が撃沈され、ほとんどすべての航空機を失うとともに1万2500名の将兵が戦死した(大本営海軍部は「日本の大勝利」と発表)。

日本海軍が撃破されたためアメリカ軍がレイテ島に上陸し、地上戦の後、レイテ島を占領してフィリピン“奪還”の第一歩となった。

このような日米激戦が展開されたレイテ島をはじめとするフィリピンの地で、69年後の現在、アメリカ軍と日本の自衛隊が同盟軍として肩を並べて災害救援活動を展開中である。

アメリカ軍救援部隊は、原子力空母「ジョージ・ワシントン」を旗艦とするアメリカ海軍部隊とアメリカ海兵隊が中心である。
日本からは、ヘリコプター空母「いせ」や輸送揚陸艦をはじめとする海上自衛隊艦艇や航空自衛隊機それに陸上自衛隊救援部隊が駆けつけている。

■対中牽制だけでなく士気高揚を図る米軍

そのアメリカ軍による救援活動だが、
 アメリカとフィリピンの間には大規模自然災害などに際しての相互救援協定が存在するため、
アメリカ政府が米国国際開発庁(USAID)や軍隊などを派遣するのは協定上の責務ということになる。

もちろん外交軍事戦略的には、日本を拠点にしているアメリカ海洋戦力(海軍、海兵隊、空軍)を救援活動に投入することにより、アメリカ軍にしか実施できないスピーディーな戦力投射能力を見せつけて、中国の侵略的な海洋戦略を牽制していることは誰の目にも明らかである。

ミスチーフ環礁をはじめ南シナ海でのフィリピンと中国の間の領域紛争が険悪な状況にある現在、そしてシリア介入の不手際や国防費大幅削減などで同盟国からの信頼が揺らぎつつある現在、アメリカにとってフィリピン救援における政治的動機が以前より重きをなしているのは当然と言えよう。

もっとも、
現在実施中のフィリピン救援作戦(ダマヤン作戦 operation DAMAYANが持つ戦略的意義は、フィリピンや日本をはじめとする同盟国からの信頼をつなぎとめ、中国や北朝鮮に対して警告を発する対外的側面だけに限られているわけではない。
むしろ、アメリカ軍部自身の士気高揚という国内的側面に向けられた意義も極めて大きい。
そのことは国防総省や各軍の内部報道などから感じ取ることができる。

すなわちアメリカ軍は、オバマ政権下における国防予算の削減に加えて強制財政削減措置によるさらなる国防費の圧縮によって、必要な装備の調達が否応なく達成不可能になり、訓練なども縮小されたり中止されたりして人員削減まで視野に入っている。
その状況で懸念されているのが各軍の士気の低下である。

そこで、フィリピンでの大規模自然災害に対して、アメリカ軍だからこそ可能な水陸両用戦能力ならびに大規模投射能力をフルに活用した迅速かつ大規模な救援活動を実施することにより、米軍内部の士気を高揚しようという目論見がある。

実際に多くの海兵隊関係者たちが、アメリカ軍の先鋒を務める戦闘集団たる海兵隊といえども人道支援・災害救援活動(HADR)で人助けをすることは、敵を殺害しなければならない戦闘任務よりははるかにやりがいのある仕事であり大いに士気が向上すると語っている。

(もちろん、戦闘や戦闘の可能性が大きいパトロール任務などの機会が皆無で、HADRだけしか出動機会がなくなってしまえば、基本的には米国防衛の戦士たらんと海兵隊員になった者たちの士気は低下してしまう。
しかし、そのような恐れは少なくとも海兵隊では生じていない)

■国民の士気向上にも一役買っている

アメリカ軍がフィリピンでの救援活動でいかに活躍しているかは、各軍関係諸機関の報道だけではなく、報道機関のウェブサイトなどでも比較的詳細にわたって報じられている。

国防総省や海軍、そして海兵隊などの広報部門は、救援活動情報や関連情報を詳細に報道してもらおうと報道機関に働きかけている。軍事組織、とりわけ海洋戦力は大規模自然災害に際して極めて有用であり、そのような戦力を保持していることによって、戦闘ではない人道的活動にもアメリカ軍が獅子奮迅の働きをすることを広く国民に知らしめようとしているのだ。
その結果、国防予算のさらなる大削減に抵抗しようというのが狙いである。

例えば、香港を親善訪問中であったアメリカ海軍航空母艦ジョージ・ワシントンを旗艦とするジョージ・ワシントン空母打撃群は、11月11日にレイテ湾へ急行して救援活動に参加する命令を受けた。
これに関連して報道機関の多くが、
「なぜ航空母艦は災害救援活動に有用なのか?」
について機能面や歴史的事実から説明し(以下のリストを参照)、国防予算削減のために勢力縮減が実施されつつある航空母艦が、アメリカにとって軍事的にも外交的にもかけがえのない軍艦であることを一般国民に啓蒙している。

【原子力空母ジョージ・ワシントン の災害救援活動に有用な諸機能】

・艦内医療設備の病床:150
・集中治療用病床:3
・静音病床:2
・最小医療チーム:10名(医師、外科医、麻酔医、看護師、精神科医、セラピスト)
・衛生兵(コーマン):33名
・歯科治療施設:歯科医師5名、1日あたり治療可能患者数70名
・海水を飲料水に浄水する能力(1日あたり):40万ガロン(およそ6040万リットル)
・食事供給数(1日あたり):1万8000から2万食
・補給を受けないで行動可能な日数:90日
・急行する際の速度:30ノット(時速55.56km)以上


●空母ジョージ・ワシントン(写真:米海軍)

【アメリカ海軍空母が災害救援に活躍した代表的事例】

・1929年 ワシントン州タコマ大震災(タコマ市に電力供給)
・1954年 ヒスパニオラ島(カリブ海)ハリケーン
・2004年 インドネシア大津波
・2005年 ハリケーン・カタリナ(アメリカ南部諸州)
・2010年 ハイチ大地震
・2011年 東日本大震災(トモダチ作戦)
・2013年 フィリピン巨大台風
予想通り活躍しているMV-22Bオスプレイ

災害救援活動における有用性を航空母艦以上にアピールしているのが、日本でも“有名”なアメリカ海兵隊中型輸送機MV-22Bオスプレイである。

巨大台風によるフィリピン発災翌日、11月9日にアメリカ国防長官がアメリカ太平洋軍に救援出動命令を下すと、ただちに三沢基地所属のアメリカ海軍哨戒機P-3オライオン2機がフィリピンに派遣され、被害状況把握と生存者発見のための捜索飛行を開始した。この初動状況把握に基づいて、翌10日、沖縄のアメリカ海兵隊は、第3海兵遠征旅団によって救援部隊を編成することを決定し、旅団司令官ポール・ケネディ准将をフィリピン救援部隊指揮官に任命した。


●フィリピンに到着した海兵隊先遣隊(写真:米海兵隊)

ただちにケネディ海兵准将は、前進司令部部隊と人道支援専門部隊からなる第3海兵遠征旅団先遣隊90名を率いて、救援物資と通信資機材を積み込んだ2機の海兵隊空中給油輸送機KC-130ヘラクレスに乗り込み、普天間基地からフィリピンに向かった。それと同時に海兵隊MV-22Bオスプレイの派遣も決定された。

翌11日、オスプレイ4機が普天間基地からフィリピンに向かって飛び立った。また、100名の海兵隊救援部隊と発電機や飲料水ならびに救援物資を積み込んだ3機の海兵隊KC-130ヘラクレスもタクロバンへと向かった。


●普天間基地を発進するオスプレイ(写真:米海兵隊)

この日の夕方時点で、260名のアメリカ海兵隊員と、4機のMV-22Bオスプレイ、5機のKC-130ヘラクレスが、フィリピンでの救援活動に従事し、10万7000ポンドの救援物資をフィリピン側に引き渡した。


●オスプレイとヘラクレス(写真:米海兵隊)

さらに12日、佐世保からアメリカ海軍輸送揚陸艦ジャーマンタウンとアシュランドが沖縄経由でレイテ湾を目指して出港した。沖縄(ホワイトビーチ)でおよそ2000名の海兵隊員と大量の救援物資、救援資機材を搬入し、14日にタクロバン沖に到着予定。12日までに、12万9000ポンドの救援物資を被災者に配布完了し、数百名の被災者をオスプレイやヘラクレスでマニラに搬送した。

13日には、普天間基地から第2陣のオスプレイ4機がフィリピンに向けて発進した。オスプレイが前進基地とするマニラ郊外のクラーク空軍基地までは普天間基地からおよそ1500キロメートル。機体内増槽を取り付けなくても無給油で飛行可能な距離である。普天間を発進しておよそ3時間半後にはクラーク基地に到着し、クラーク基地からは1時間強でタクロバンに海兵隊員が降り立つことになる。


●タクロバンに到着したオスプレイ(写真:米海兵隊)

16日までに、さらに6機のMV-22Bオスプレイが沖縄からフィリピンに追加派遣された。これで合計14機のオスプレイが、クラーク空軍基地を拠点に救援活動に投入されることとなった。オスプレイは、飛行場しか使えないヘラクレスのような航空機ではアクセスできない離村部や離島に、食料や水、そして衣料品といった救援物資を配布するなど大活躍している。


●ホモナンに到着したオスプレイ(写真:海兵隊)
拡大画像表示

(注:以上のアメリカ軍のフィリピンでの救援活動は、日本時間11月19日までのもの。)

■オスプレイの活躍は日米同盟があってこそ

今回の救援活動では、アメリカ海兵隊の“海の移動基地”であるアメリカ海軍強襲揚陸艦が使用できなくとも、海兵隊が自前で保有しているKC-130ヘラクレスとMV-22Bオスプレイにより、ある程度の規模の救援部隊を、沖縄から海を越えて迅速に東アジア地域の被災地に送り込めることが実証された。

また、かつては強襲揚陸艦が被災地沖合に到着してからでないと、海兵隊員の“靴”となる各種輸送ヘリコプターが救援活動で(もちろん戦闘でも)活動することはできなかったが、海兵隊員の“新しい靴”となったMV-22Bオスプレイは、揚陸艦とは独立し、自力で長距離を飛行して被災地に急行し、救援活動に従事することが可能になった(MV-22Bに関しては、拙著『海兵隊とオスプレイ』<並木書房>を参照のこと。)。

もっとも、フィリピンでの救援活動にMV-22Bオスプレイが投入され、きめ細かな救援活動を展開できるのも、日米同盟が存在し、24機のMV-22Bオスプレイがアメリカ海兵隊普天間基地を本拠地にしているからこそである。


●オスプレイで被災者を救出(海兵隊報告書より)


北村 淳 Jun Kitamura
戦争平和社会学者。東京生まれ。東京学芸大学教育学部卒業。警視庁公安部勤務後、平成元年に北米に渡る。ハワイ大学ならびにブリティッシュ・コロンビア大学で助手・講師等を務め、戦争発生メカニズムの研究によってブリティッシュ・コロンビア大学でPh.D.(政治社会学博士)取得。専攻は戦争&平和社会学・海軍戦略論。米シンクタンクで海軍アドバイザー等を務める。現在サン・ディエゴ在住。著書に『アメリカ海兵隊のドクトリン』(芙蓉書房)、『米軍の見た自衛隊の実力』(宝島社)、『写真で見るトモダチ作戦』(並木書房)、『海兵隊とオスプレイ』(並木書房)、『尖閣を守れない自衛隊』(宝島社)等がある。



ロイター 2013年 11月 18日 21:15 JST
http://jp.reuters.com/article/topNews/idJPTJE9AH00720131118/

オスプレイ輸出、近く急拡大の可能性=米海兵隊幹部

[ドバイ 18日 ロイター] -
 米海兵隊のダン・ロビンソン大佐は、米ボーイングとベル・ヘリコプター製造のオスプレイ(V─22)輸送機の他国への売却が「非常に近い将来に」大幅に増える可能性があるという見方を示した。

 同大佐は米国防総省のV─22プログラムの責任者。
 米軍による世界でのオスプレイ配備が増えていることが、需要を促進していると述べた。
 ドバイ航空ショーでの発言。

 同航空ショーで米海兵隊はオスプレイ4機のテスト飛行などを披露し、海外への売り込みを図っている。

 ロビンソン大佐はロイターに対し、「この地域で他国軍に対してだけでなく、VIPあるいは企業の重役の輸送向けに、好機が広がっているとわれわれはみている」と述べたうえで、VIP向けには貨物室の再構築が可能だとした。

 他国軍への売却に関しては、「非常に近い将来に大幅に増える可能性がある」と語った。

 米国防総省当局者らはオスプレイに関し、アラブ首長国連邦(UAE)、日本、カナダ、サウジアラビア、カタール、イタリア、ブラジル、コロンビア、シンガポールとオーストラリアに対し説明を行ってきた。

 ヘーゲル国防長官は4月に、最初の輸出がイスラエル向けになると明らかにしている。
 関係筋によると、イスラエルに対しては1機当たり7000万ドルで6機売却するとみられており、現在詳細を詰めているところだ。

 関係筋によると、UAEは10機前後を輸入することに関心を示している。
 日本は20─40機を長期的に購入することに関心を示している。




【トラブルメーカーからモンスターへ】

_